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☆週刊☆ 経営いろは帖 Vol.209 2007/03/12 毎週月曜日発行

執筆・発行/株式会社総合教育研究所 石橋正利
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ナニワ商人の家訓 −淀屋と鴻池−
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 江戸時代、天下の台所と呼ばれた大阪の街は、商人の町だった。
この商人たちの間で家訓がブームとなったのは、元禄バブルがはじけ、
享保の改革が行われた大不況の時期だったそうだ。

 大阪の商人たちの間で家訓が重んじられるきっかけとなったのが、
豪商淀屋の没落でした。

 幕府から米市の開設と中ノ島の開発を許可された淀屋は、日本中の
米の売り買いを仕切ったことで、大名を凌ぐ巨万の富を手にすることに
なります。次第に贅を尽くすようになり、代を重ねることに、派手に
なっていった淀屋に対して、ついに、幕府は「商人の分に過ぎたる所業」
と全ての財産を没収してしまいます。

 一方、正反対の家風を大切にしたのが酒造りと海運業をベースに
両替商として栄えた鴻池でした。始祖の新六が定めた贅沢を戒めた家訓
「子孫制詞条目」には、「遊芸は家名破滅のもと。食事や着物に贅沢を
するな。倹約を守れ」と書かれており、後継者の戒めとしたわけです。
そして、家訓を生きたものにするために、月一度のミーティングの場で
手代に読み聞かせて、改めて神の前で誓わせていたそうです。
正に、理念の共有ですね。

 近代以降は財閥となり、平成時代に至るまで三和銀行として綿々と商脈
は続いていくことになったわけです。現代にもたくましく生きるナニワ
商人たちの商いの姿勢の原点でしょう。

(文責:株式会社総合教育研究所 石橋正利)

★次号予告★
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次回は、『京の老舗の家訓 −長寿の秘訣−』です。
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